睡眠中のヤコブに現れたヤハウェ(主)とその約束
ヤコブは母リベカの策略に乗って父イサクと兄エサウをだましました。
騙された父イサクは、ヤコブの兄エサウに、「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を奪い取ってしまったのだ。」(創世記27:35・2017)と語りました。
状況を知ったエサウは怒って、「あいつの名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけて。私の長子の権利を奪い取り、今また、私への祝福を奪い取った。」(創世記27:36・2017)と言ったのです。
そしてエサウは、父がヤコブを祝福した祝福のことで、ヤコブを恨みました。それでエサウは心の中で、「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」(創世記27:41・2017)と言ったのです。
エサウは、心の中で「弟ヤコブを殺してやろう。」言っただけでは収まりませんでした。心で思ったことが、口から出てきてしまったのです。
それを聞いた人が、エサウとヤコブの母リベカに伝えました。
リベカは、それに対する対策を考え、早速実行に移しました。
それは、ヤコブを自分の兄のもとへ逃亡させること。
もう一つは、ヤコブの嫁をエサウのようにカナンの娘から迎えたくないと、イサクに言い、イサクが、ヤコブに、妻をめとるためにリベカの実家に行くように、と命じさせるように仕向けたのです。
創世記27:42-28:5には次のように記されています。
“27:42 上の息子エサウの言ったことがリベカに伝えられると、
彼女は人を送り、下の息子ヤコブを呼び寄せて言った。
「兄さんのエサウが、あなたを殺して鬱憤を晴らそうとしています。43 さあ今、子よ、私の言うことをよく聞きなさい。すぐに立って、ハランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。44 兄さんの憤りが収まるまで、おじラバンのところにしばらくとどまっていなさい。45 兄さんの怒りが収まって、あなたが兄さんにしたことを兄さんが忘れたとき、私は人を送って、あなたをそこから呼び戻しましょう。あなたたち二人を一日のうちに失うことなど、どうして私にできるでしょう。」
46 リベカはイサクに言った。
「私はヒッタイト人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちのうちで、このようなヒッタイト人の娘たちのうちから妻を迎えるとしたら、私は何のために生きることになるのでしょう。」
28:1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。
「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」
5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところである。”(2017)と記されています。
かくしてヤコブはベエル・シェバからパダン・アラムまで640㎞以上の旅をする羽目になりました。
ヤコブはベエル・シェバから約100km歩いた場所まで来ました。ヤコブは、この場所をベテルと名づけました。
その経緯は創世記28:10-22に次のように記されています。
“10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
12 すると彼は夢を見た。
見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
13 そして、見よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がその上に立って、こう言われた。
「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。
「まことに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」
17 彼は恐れて言った。
「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
20 ヤコブは誓願を立てた。
「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の神となり、22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」”(2017)とあります。
「ベテル」(19)と訳されている語のヘブライ語原語は「ベイト エル」で、「神の家」の意です。
「誓願」とは:
誓願について聖書辞典(抜粋)は次のように述べています。
“神が自分の願いを聞き届けてくださった時にある事をする、あるいはあるささげ物をすると約束すること(創世記28:20)。時には,あることをしないと約束することもあり、それは物断ち(〈ヘ〉イッサール)と言われる(民数記30:14)。誓願を立てることは宗教的な義務ではなく全く個人の自由に任せられていた。しかし誓願をした場合は、それを破ることはできなかった(申命記23:21)。それゆえ誓願は軽々しくすべきものではない(箴言20:25)。しかし、婦人の誓願は未婚の場合は父が、結婚している場合は夫が、その誓願について知った日にそれを禁じるならば無効とされた。だが夫が、それを聞いた日に禁じなかった場合、後日それを破棄するなら、夫がその責任を負わなければならなかった(民数記30:3‐15)。誓願は口に出して言わないなら有効ではなかった(申命記23:23)。人身、家畜、土地、その他の財産を誓願の対象とすることができたが、これらのものはすべて金で買い戻すことができた。人身の場合は一定の銀に換算してささげたが、貧しくて定められた額をささげられない場合は、祭司がその人の能力に応じて評価することができた。また汚れた獣、あるいは家屋、土地などを買い戻す場合は、祭司の評価額に5分の1を加えなければならなかった。土地の評価額はヨベルの年までの年数を考慮して定められた。しかしヨベルの年にささげた土地は買い戻すことはできなかった。また初子、十分の一など本来主のものと定められているものは誓願のささげ物とすることはできなかった(レビ27章)。また主の忌みきらわれるものも誓願の対象とすることは禁じられていた(申命記23:18)。良いものの代りに悪いものをささげるようなことも禁じられており、これに違反した罪のゆえに人々は責められている(マラキ1:14)。”と記されています。
聖書を読む限りでは、この聖書箇所に来るまで、ヤコブが直接ヤハウェ(主)に祈った、とは記されていません。またヤコブがヤハウェ(主)と交わりを持っていたとも記されていません。
しかしヤコブは、イサクの祈りや言動を通して、イサクの神がヤハウェ(主)であることを知っていました(創世記28:16)。
ヤコブは、父の家を離れ、ハランまでの心細い旅をしなければならなくなった時に、まことの神であるヤハウェ(主)が、ヤコブに現れてくださったのです。
ヤハウェ(主)は、完璧なる予知能力をお持ちですから、ヤハウェ(主)を求める人、ヤハウェ(主)を信じるようになる人に現れてくださいます。
ヤコブの場合は、ヤコブの夢の中に現れてくださいました。
ヤハウェ(主)は、ヤコブがヤハウェ(主)を信じることを知っていました。
ヤハウェ(主)がヤコブに現れたた時、ヤハウェ(主)は次のように語ったと記されています。
「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13-15)とあります。
キリスト者の中には、「ヤコブはいいな、主が直接語ってくださり、大いなる約束を与えてくださって。」と思う人が、あるいはいるかもしれません。
キリスト者に対して、主は、御言葉を通して語ってくださることが多くあります。
またキリスト者に対する約束は、聖書に数多く記されています。
主の約束は、その約束を信じることによって自分のものとして実体化されます。
約束の中には、信じればよいというだけのものと、条件付きのもの、すなわち、~をしなさいorでありなさい、そうすれば~、というようなものもあります。
ヤコブは、ヤハウェ(主)が現れてくださった場所であるルズをベテルと呼びました。
前述したように、ベテルとは、神の家、という意です。
驚くべきことに、キリスト者は、「神の家」=「主の神殿」=「神の宮」なのです。
1コリント3:16には、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(新共同訳)と記されています。
1コリント6:19には、「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」(新共同訳)と記されています。
またキリスト者に対し、エペソ1:3には、“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(2017)と記されています。
私たちキリスト者は、主の約束を信じることによって、その約束の実体を得ていくことができるのです。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
あなたは、あなたの愛に基づくご計画に従って、私たちに多くの約束を与えてくださっておられますから感謝します。
あなたに全幅の信頼を置き、あなたを賛美しながら歩み続けることができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。